一般社団法人 大日本武徳会
                  大阪府支部
                
 
                                       武種 演武 
             

                                             剣道                

                       
大日本帝国剣道形
                  
                  
剣道範士九段 辻野正勝    剣道範士八段 河野義佑


 大日本帝国剣道形

 幕末から明治にかけて防具の発達に伴い、竹刀剣道が従来の形稽古に加え修行されるようになった。竹刀剣道は長期の修行を必要とせず簡便に模擬戦闘を行うことができ実戦的であることから明治中期より警察や軍隊に広く普及した。当時の大日本武コ會はこのような竹刀剣道の普及に伴って、明治39年に大日本武コ會制定剣術形を作成した。しかし、明治44年、文部省は撃剣を学校の正課に取り入れてもよいとするものの、全国の中学校に普及させるには武コ會の制定した形は不適格であるとし、文部省主催撃剣講習會において3本の形を提示した。そこで、大日本武コ會は剣術形の再調査を行い、中學校の正課として取り入れられることを勘案し、初心者にも、また上級者においても學ぶべき品格、コを備え流派を超えた剣道形を制定するため範士5名、教士18名、計23名の調査委員が選ばれた。その内、特に、北辰一刀流 内藤高治、門奈正、神道無念流 根岸信五郎、直心影流 辻真平、小野派一刀流 高野佐三郎 計5名が原案を作成したのである。そして、大正元年(1912) 10月、念願の大日本帝國剣道形の制定に至った。しかしながら、理合など解釈の相違があり、為に形が確定せず普及には至らず、更に、議論が重ねられ大正6年(1917)9月には注釈書が作成された。その剣道形としての普及に伴い、十分の教育成果を挙げるためには、より詳細な解説、説明が必要となった。そこで、高野佐三郎、中山博道、小川金之助、持田盛二、斎村五郎ら12名の調査委員、2名の監事により協議が進められ、昭和8年(1933)8月増補加註がなされ大日本帝國剣道形の完成を見たのである。この形は現代剣道に至るまで大きな変更無く継承されている。
 その内容は、初心は初心なりに刀の振り方、先、間、残心など剣道の理合を習得し、剣道形を竹刀剣道に活かして応用するまでになれば形の稽古はそのまましない剣道にも通じるとされる。また、古流にも通じた熟達者であれば、より深く形の心を知りその深奥を感得でき、その形を実戦にも活かすことができよう。現、大日本武徳会においても平成4年11月、大日本武徳会会報に当時の大日本武徳会理事長である藤原正晴が、大日本帝国剣道形としてその詳細を著している。大日本武徳会大阪府支部ではその成立の経緯に鑑み、成立当初の古流剣術に根ざした剣の理合、気働き軽視することなく考究し、継承に努めたいと考えている。特に、現在では既に、戦前における大日本帝國剣道形を鍛錬された先生方もその多くは鬼籍に入られ、ここに示した範士九段辻野正勝や同八段河野義佑の大日本帝国剣道形演武は誠に貴重であるといえよう。                                 (文責 村田雅人)




                                          居合道

 無双直伝英信流居合道

[大誠会}
 居合は、室町時代末期(永禄の頃)、奥州住人、林崎甚助重信により林崎夢想流として中興された。抜きが同時に切りとなり、抜くまでの心術を重視するが故に居合と呼ばれ、その極意太刀は居合根元の巻に伝えられている。その後、江戸時代に至って刀法が太刀から打刀に変遷するに合わせて江戸時代初期に長谷川主税助英信が改編し、長谷川英信流として大成した。幕末に至って同流において下村派と谷村派の傑出した二派を生じるが、あまりにも業数が多く混乱を生じたため明治時代に至り、大江正路子敬が形
42本、太刀打10本に整理し、それを無双直伝英信流と名付け全国に普及した。その過程において、中山博道が下村派の夢想神傳重信流をもとに夢想心傳流を打ち立てた。一方、後の二十代宗家河野百錬二派にこだわらず無双直伝英信流をまとめ昭和18年に刊行した。これが現代広く行われている無双直伝英信流である。しかし、普及を視野に入れているために簡略化した刀法が用いられており、体術を要する高位に到る技は名称のみの記載に止まり内容には触れられていない。また、当時の大日本武徳会当局より実践的教練をしたいとした抜刀法を編成するように河野百錬に命が下され、古流をもとに立技のみの全8本、替技2本の計十本を大日本抜刀法(現、大日本抜刀流)として制定し、大阪府下における武徳会出張特別剣道講習会にて実施されるようになった。このことは現、大阪府支部においても特筆に値する事項である。
 さて、大誠会においては本来の古流としての谷村派を中心に、師伝を基に伝書により技を補足し、柔拳や柳生心眼流体術を応用することにより体術、気を高め、居合本来の姿を示す高位の技を再現することに務めている。会員の練習法としても入門時は普及型より入り、奥居合に至るにつれて練度の高い者は谷村派の技に移行する。また、凄絶な抜刀術を行じることにより心機を練り、終には居合本来の鞘の内に勝を含み、不戦、不殺、慈悲の心に至ることを目標としている。
                        座右の銘、’自他不二、争心無し’ (文責 村田雅人)

                     
                           無双直伝英信流居合 範士八段 村田雅人


 虚心流居合剣法

 虚心流居合剣法の前身である円心流の起こりは、戦国の頃、近江国彦根の住人で京都御所北面の武士であった犬上左近将藍永勝が、父兵庫永継より家伝の剣法を授かり、北面の武士 速水長門守円心から組討の術を学び、その技を集大成して兵法組討剣法と称したのが源流であると云われている。但し、伝書喪失のため、伝説の域を出ないものである。しかし、伝承されている技の中には甲冑着装時に使われる独特の太刀納刀の形が数多く残されている。よって、古傳の甲冑刀法が色濃く残されているように思われる。近世に至り江戸期文政の頃、讃岐の国円座の住人小橋庄兵衛正平は、家伝円心流が犬上郡兵衛以降、道統が定かでなかったので、従来の円心流に神道無念流の技を取り入れたのを期に、近代円心流中興の祖となった。二代目は藤本林五郎で、円心流の体術を話術として組み替えた。三代目は藤本林五郎の一子小橋日感正則で、大正から昭和にかけてその当時居合の主流とされた六流の秘技を学び、新たに小橋流剣法を創始し、円心流居合剣法三世を継承した。

 円心流居合剣法三世小橋日感に入門した居合道の筆頭門人が後に虚心流居合剣法を創始する松倉楠城である。昭和47年、小橋日感は諸般の事情により西念寺道場を閉鎖し、流儀を解散した。既に居合道の免許皆伝を受けていた高弟は各々が一流を興し、母体である円心流の技を継承し、後進の指導育成に就いた。筆頭門人の松倉楠城は昭和50年、円心流居合剣法の技に庶流の技を加え編纂し、大阪十三の地で新たに虚心流居合剣法を創始して、居合道の普及振興に寄与した。
 虚心流居合剣法は虚心流居合道と虚心流剣術の総称である。精神の鍛錬とともに現代剣道と相互補完的な刀法、体裁きの研究、習得を目的とする。直線の動きを主とする現代剣道に対し、縦、横、斜めの足裁きを重視し、柔らかな手の内の修練とともに大きく刃筋正しい振りを心がけている。道統としては、創始者 居合範士九段 松倉楠城から二代・居合道範士九段 柳元視乃留、三代・居合道範士九段,剣道範士八段 藤田平男、四代・居合道範士八段、剣道教士七段 山本楠城に受け継がれ、現代に至る。(文責 山本楠城)

                      
                      
虚心流居合剣法 宗家 範士八段 山本楠城


 神田派虚心流居合道


 虚心流居合は流祖松倉楠城先生がかつて居合道名人無双直伝英信流居合道宗家 河野百錬先生に直伝を受け、伯耆流居合術十段範士大野久磨雄先生および円心流居合剣法中興三世宗家小橋日感先生等に教えを受け、以上習得された各流の技を基本とし、多年に亘り修練、工夫された秘技を加え、総計六十九本の技を集大成し、ここに虚心流居合の誕生を見たのであります。この虚心流の意とするところは古来より伝えられた伝統武道を通じてお互いに心身の修練をはかり士魂ある人間育成にあります。この直伝の訓えを受け、これを正しく後世に伝えて虚心流の益々の発展に寄与する。
文責 神田穗風)

                 

                 
神田派虚心流居合 錬士六段 佐野晃一


 神伝円心流居合据物斬剣法

 
円心流の起りは、天正年間、人皇百五代正親町天皇の御代、近江の国は彦根の住人で京都御所北面の武士、犬上左近将監長勝が父、兵庫永継より家伝の剣術秘伝を授かり、同じく北面の武士、速水長門守円心から組討の術を学び円心流兵庫組討剣伝と称し、これが源流である。 二代、犬上群衛門永友は体術に長け扱心流体術をも興した。三代は伊藤助兵衛重勝、四代、井伊守正、五代、棚橋五兵衛良定、六代、犬上群衛門永保と続くが、寛政十年頃、従来の円心流に神道無念流を取り入れ、小橋庄兵衛正平が中興の粗となり、二代、藤本林五郎が明治十年頃に高松御流儀を取り入れ和術とした。三代、小橋日感は大正年間に居合主流、六流の秘技を取り入れ円心流居合据物斬剣法を創始した、四代は、小橋日喜で五代を増本孝和が継承している。
 神伝円心流居合据物斬剣法、宗家森内一蔵は、三代、小橋日感宗家より昭和五十年四月に印可を受け、平成十三年十一月に四代、小橋日喜宗家より、増本孝和、現五代宗家立会の下、分家を許され神伝円心流居合据物斬剣法として今日に至っている。
(文責 森内一蔵)
              
                      
        
  神伝円心流居合据物斬剣法 宗家 範士八段 森内一蔵

 無双流

 無双流は、熊本にあって家伝の流儀であり、無双流居合、剣術、二天一流を伝える。技は居合術と剣術から成り、表の形としては居合十二本、剣術十一本を伝える。技の特徴は、一に正しき姿勢をもって敵に正対すること、二にまず我が身を守ること、三には常に敵を牽制し、抜き付けにおいてすら剣先を相手から逸らさぬところにある。そして、正心術たるをもって、心を鍛錬し、素直な心、心の抜きを体得し、応変の気構えと気位を重視し、いついかなる場合にも状況に対応し得る心身を養うのである
     
            
               
無双流 教士七段 太田淳一




                   柔術

 心伝流柔術

 心伝流柔術は1965年頃、円心流居合剣法宗家、小橋日感の時代に再興された組討兵法円心流和術を小東三鬼が継承して1973年に心伝流柔術を創始した。心伝流柔術の技は人の解剖学的知識を応用して出来ており、非力な人が強力な人を倒すことが出来る、理想の護身術です。技が基本(手ほどき)、初伝、中伝、上伝、奥伝と段階的に構成されており、武術稽古が初めての子供から他武術を経験している大人まで理解し易く、ある程度までの習得が容易です。
(文責 北野隆雄)

                   

             心伝流柔術範士十段 桑原兵充  同 七段 高島伸幸


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